主観と客観と平沢唯

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今回は、主観と客観の結構真面目?な話です。

photo-credit: syui


平沢唯



第一印象



私は、けいおん!の平沢唯というキャラがかなり気に入っています。


ここで、私が平沢唯というキャラのどこが好きなのかを説明していきたいと思います。


まず、私にとって、平沢唯(以下、ユイとする)は、第一印象は最悪でした。


ユイの第一印象は、「あまり可愛くないなぁ」です。


もちろん、これは見た目からの判断でした。


なぜこのような判断をしたのかというと、やはり、個人的な好みの問題でしょう。


まず、タイツを履いている時点で、可愛くないと思いました。


確かに、タイツというのは、冬は暖かいし、スカートがめくれてもパンツ見えないしで、女の子からすると、メリットはかなり大きいと思います。


しかし、男の子からすると、タイツは、あまり可愛く見えないんじゃないかなと私は考えています。


もちろん、好きな人はいると思いますが、個人的には、タイツ履いてる子は、あまりかわいく見えないのですよ。


次に、私は、長い黒髪の子が好みだったりします。


よって、ユイの茶髪で短めというのは、個人的な好みと合致していなかったのですね。


見た目の話



しかし、今では、私の中では、ユイが一番のお気に入りキャラです。お気に入り女性キャラの第一位です。


では、なぜ上記のような第一印象を持っていたにもかかわらず、私がユイを好きなのかを説明していきたいと思います。


これは、簡単に言うと、見た目と性格の話になります。


では、見た目とは何なのでしょう。


私にとって見た目とは、判断材料が乏しい時に、相手を判断するための重要な要素の一つと考えています。


ここで、判断材料が乏しい時というのは、相手のことを全く知らない状況のことを言います。


このように、相手のことを全く知らない状況にあるとき、それでも相手を判断しようとするなら、客観的な事情から判断していくしかないと考えています。


ここで、客観的な事情というのは、見た目、血液型、心理テストの結果、年齢、成績などのことを言います。


しかし、これらは、あくまで、相手のことを全く知らない状況では、という前提があります。


反対に、もし相手と話したことがある、交流したことがある場合、相手のことを知っているという状況では、もしかしたら、客観的な事情は、あまり重要ではないのかもしれません。


この点、血液型占い、心理テストなどに拒絶反応をする人を見ていると、私は結構残念な気持ちになります。


なぜかというと、こういうものを使っている人やこういうものを作った人が、実は、こういうものをあまりあてにしていないという事実を認識していない人が多いということが一番の原因かと思います。


私自身、血液型占いとか心理テストなどは、そんな信じてないです。


では、なぜこういったものが使われるのかというと、それは、相手のことを全く知らないという状況下では、判断材料の一つになるからだと思います。


それに、血液型占いや心理テストなどは時に、自分も知らないような自分のことを教えてくれたり、気づかせてくれたりすると感じることがあります。


そもそもこういうのに拒絶反応を示す人の多くが、「そんな馬鹿げたもので、俺がわかるわけ無いだろ」、「わかってたまるか」という感情を持っていることが多いように思います。


これについては、全くその通りだと思います。


しかし、もし、あなたが、「自分のことは、自分がいちばん知っている」、「自分のことは、すべて分かっているし、知っている」と考えているなら、それは、間違いである可能性も高いような気がします。


そもそも、自分のことをすべて知っている人は、今頃、自分のほしいものを全て手に入れ、人生に退屈しているのではないかと思います。


なぜなら、自分が何に感動し、何に怒り、何に悲しむのかというのをすべて把握しているので、これほどつまらないものはないなと考えるからです。


そして、もしそうでないなら、あなたは、自分のことすら分かっていないし、知らない可能性が高いと思います。


私自身、自分のことすらあまり知りません。


話を戻します。


見た目やその他の客観的な事情は、相手のことを全く知らない時に、相手を判断するために使われると言いました。


しかし、言ってみればそれだけの価値しかなく、相手と話をしたり、交流したりすることで、相手のことがわかってくれば、それはどうでもよいものに変わってきます。


そして、私が見た目よりも性格を重視するという考えはこういうところから来ています。


もちろん、見た目、その他のステータスが高いことは良いことだと思いますし、あっても困るものではないと考えますが、個人的にはそういうのはあまり重視していません。


例えば、ユイが、可愛くないタイツを履いていようが、髪型や髪色が好みでなかろうが、それは、初回時のみ考慮される事情であり、ユイのことを知ってからは、まったくもってどうでもよいことなのです。


性格の話



アニメを何話も見ていると、そのキャラのことがだんだんと分かってきます。


昔、私は、キャラを一目見ただけで、そのキャラがどういった人物なのか分かることが多いといったことがありました。


しかし、ユイをはじめて見た時は、別でした。


具体的に言うと、ユイのことは全く分からなかったのです。


今現在、ユイのどこが好きなのかというと、性格が好きです。


一言で言うと、「かわいい」ところが好きですね。


具体的に何が可愛いのかの説明については、ここでは控えさせていただきます。


大人っぽいか子供っぽいか



以上のこともあり、私がキャラについて、大人っぽいか、子供っぽいか、または普通なのかの判断をする際、ユイを基準に判断しています。


簡単には、ユイと比較し、大人っぽければ、大人っぽいキャラと判断し、逆に、子供っぽければ、子供っぽいキャラだと判断します。また、ユイと同じレベルなら、普通と判断します。


例えば、ユイよりもしっかり者なら、大人っぽいと判断することになります。また、暴力振るっていたり、ひたすら怒ってたりするキャラは、子供っぽいと判断します。


心理テスト



上記は、主に精神年齢的なものの判断を言います。


なぜこのような判断をするのかというと、私自身が、ユイと同じレベルの精神年齢の持ち主だと思っているからです。


自分の中では、私とユイは思考パターンが似ているなと思うことが多いです。


そして、ユイは、多分ですが、精神年齢低いほうなのではないかと考えています。


これは、ユイがけいおんのメンバーからどう見られているかで判断しました。


リツ「だからいつまでたっても小学生なんだぞ、ユイは」


ただし、これは、あくまで私の主観的な意見であり、自分勝手にそう思っているだけです。


しかし、私は、主観的な意見も大切ですが、客観的な意見も考慮しなければ正しい判断というのは難しいのではないかと考えています。


ここで、客観的な意見の一つとして、心理テストの結果を見てみたいと思います。


私は、心理テストの精神年齢判定をやってみると、ことごとく、おじいちゃん判定されてしまいます。


そして、そこにはこう書かれていたりします。


「一体どうやったら、そこまで悟りを開けるようになるのか?あなたの精神年齢は80歳以上です。」


「は?」←僕


これを読んだときは、「悟りなんて開いてねー」、正直そう思いました。


私は、どう考えても、おこちゃま思考で、子供っぽい考え方しかできないのに、なぜこういうことが起こりうるのでしょうか。


ただ、いくら自分が気に入らない結果であろうと、こういうものは、一つの客観的意見として、考慮しなくもありません...。


主観と客観



そして、上のように、主観と客観が大きくずれることが世の中にはよくあります。


このようなとき、どちらか一方だけを重視する人は、ちょっと残念な気はします。


たしかに、「オレはオレで何者でもない」、「オレが考えたオレだけが全てだ」と考える人も、それはそれでカッコ良いとは思いますが、ちょっと残念です。


ここで、刑法では、主に主観が重視されている条文が多いわけですが、客観も重視します。


例えば、「人をナイフで刺殺した」というケースを考えてみたいと思います。


もし、上記事情だけなら、殺人罪(刑法199条)、または傷害致死罪(刑法205条)に当たる可能性が非常に高いと思われます。


そして、この場合、どちらの刑罰に当たるかを決める際に一番重要な要素は、主観であり、本人の内心です。


ここでいう主観というのは、具体的には、「人を殺す意思があったのか、なかったのか」となります。


もし、人を殺す意思がなく、暴行、傷害する故意があるだけなら、傷害致死罪が成立します。


反対に、殺人罪は成立しません。


このように、刑法でも、個人の内心(主観)というものが非常に重視され、刑罰の重さが変わってくることがよくあります。


なぜ、日本では、個人の内心が重視されるかというと、これは、憲法の個人の尊重(憲法13条)という考え方などから来る帰結だったりします。


この話は長くなりそうなので、話を戻します。


刑法でも、その人の主観によって、刑罰の重さが変わってくることが多いという話でした。


しかし、主観、個人の内心というのは、目に見えません。


よって、その人が本当はどう考えていたのかを判断する際、客観的な事情から推察されることが多いです。


たしかに、ニュースを見ていると、「殺すつもりはなかった」、「まさか死ぬなんて思ってなかった」と逮捕された人が主張している話を聞くことがよくあります。


しかし、その時(犯行当時)、本人がどう考えていたのかは、他人からは見えないし、わからないのです。また、本人すらわからない場合も多いだろうと思います。


こういった時は、やはり、客観的な事情から判断して、決するしかありません。


例えば、主観と客観が矛盾し、争いある場合、裁判では、ナイフの持ち方などによって、個人の内心を推察するということがあります。


具体的には、ナイフを逆手に持っていたかどうかで、殺意を推察したりします。


これは、逆手にナイフを持っていたほうが、殺意は強い傾向にあるという統計結果を元にしています。


もちろん、このような統計は、あくまで統計であり、ある種の傾向をまとめたものに過ぎません。間違いはありえます。


しかし、内心を推測するには、そういったことでしか判断できないのも、また事実です。


もちろん、殺意があったのか、なかったのかを推測するためには、ナイフの持ち方だけでなく、ナイフの形状やナイフを所持するに至った経緯など様々な事情が考慮されることになると思いますが、本質は変わりません。


本質というのは、つまり、心の中の問題、内心の問題は目に見えないということ。そして、主観と客観、両方大切であり、もし、両者が矛盾する場合には、ある程度、客観的事情から判断される場合もあるということです。


このように、主観も重要ではありますが、客観的な事情を考慮しないと、思わぬ勘違いをしてしまうことがあるかもしれないと、私は思います。


もちろん、心理テストなんてのは、間違いだらけで、あてにならないものだとは思います。


しかし、周りの人は、必ずしもそうは思ってない可能性もあるわけなので、絶対的に自分の主観だけが正しいと考えるのは、よろしくないような気がします。