知らないと分からない

anime_kon
久しぶりに文章を書きたくなったので、書いてみます。知らないのに何かを批判するのは、あまり良くないという話です。

photo-credit: 京アニ


目次
1 知らない
(1) 集団的自衛権
(2) 軍隊
(3) ビットコイン
2 注意事項



知らない



集団的自衛権



はじめに



集団的自衛権を認めようとしない人達に、とても厳しい目が向けられているように感じます。


そして、なんか怒ってる感じの人が多い。知らない人というのは、なぜこのようにいつも怒ってるものなのでしょうか...。


なぜ自分たちの安全を守るために必要な権利を否定し、放棄しようとするのか、一体何考えている!!みたいに激怒している人も多い印象です。


まずは、この件についての個人的な考えを書いていきたいと思います。


ただし、これらは、集団的自衛権という権利について論じるケースです。


何らかの権利について論じるケースでは、法的な問題は避けては通れません。


よって、最初に、法的な問題を考える際の基本姿勢について考えてみたいと思います。


条文について



この前、「法文は、抽象的すぎて訳がわからない。もっと具体的に書け。法律家や裁判官は、一般市民を貶めようとしている」という主張を見かけました。


まずはじめに、これについての個人的な考えを紹介していくと同時に、何らかの権利について論じる際の基本的な姿勢について紹介したいと思います。


法律の条文は、おおよそ抽象的に書かれていて、解釈の余地が残されていることが多いです。


法律の条文が抽象的に書かれている一番の理由は、事案ごとに妥当な結論を導く可能性を残すためだと私は考えます。


例えば、条文が一切の解釈の余地がないほど具体的に書かれていた場合を考えてみましょう。


この場合、たった一つの条文で分厚い本が出来上がってしまうことになります。


とても人間に処理できるものではないでしょう。


また、条文に書かれていない未知の事案に直面した時、処理ができなくなってしまう恐れがあります。


これについては、例えば、殺人罪(刑法199条)について考えてみましょう。


もし新たな毒物が発見され、それを利用して殺人が実行された場合、導かれる結論が違ってきます。


もちろん、前提として行為者が、毒物の効果を熟知し、殺意を持って、被害者に毒物を投与した場面を想定してください。


どのような毒物を用いて、どのように殺害したのかを具体的に条文に書いておかなければ処罰できないというケースでは、無罪とする他ありません。


なぜ無罪なのかというと、この毒物で殺害した場合の処理は条文には書かれていないからです。殺害に使用されたのが新発見の毒物なので、法律を改正している暇がなかったのです。


一方、条文が抽象的に書かれており、解釈の余地を残したケースでは、有罪にすることができます。


ここで、現時点での刑法199条の殺人罪の条文を見てみましょう。

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。




非常に抽象的ですが、抽象的だということは、解釈によって妥当な結論を導けるということでもあります。


判例について



上記のような理由から、条文には解釈の余地が残されている事が多く、裁判所は、条文を解釈して事件を解決します。


ここで、判例というのは、裁判所による法律解釈の積み重ねのことを言います。


そして、法的な問題を考える際、この判例というものが非常に参考になります。


なぜなら、一般的な法律家がどのように法文を解釈するのかというと、似た事件を探し、その判例を見ていくという作業が基本だからです。


ただし、すべてを判例通りに考えれば良いというわけではありません。


なぜなら、似た事件であっても、同じ事件は一つとしてありません。


よって、同じような事件に見えても、もしかしたら結論に影響を及ぼすほどに重要な要素に違いがあるかもしれません。


また、判例自体が妥当なものではないかもしれません。


判例といえど、完璧なものではなく、将来変更される可能性があるものです。


ただし、判例というものは、容易に変更されていいものでもありません。


なぜなら、法的安定性と言って、同じような事件では、同じような処理をしないと、国民の信頼を大きく損ねてしまうからです。


このように、司法というものも、お金と同じく信頼という要素が非常に重要なものであることが分かります。


と言っても司法というものが必ず正しいかというとそうでもありません。


遠隔操作事件なんかを見ているとそう感じます。


憲法解釈



憲法というのは、一般的な法律とはその性質が全く異なります。憲法の対象は国家権力であり、同時に、国家の最高法規(憲法98条1項など)でもあります。


具体的には、憲法は、権力を制限し、国民の自由を守ることを目的とするものです。


そして、その解釈は、行政(内閣)、立法(国会)ではなく司法(裁判所)に任されます。


裁判所は憲法によりその独立が保障されており(裁判所、裁判官の独立)、どんな権力にも干渉されること無く判断が出来ます(憲法76条3項など)。


集団的自衛権が問題になる理由



以上より、この問題を考える上で前提となる知識の説明を終わります。


次に本題である集団的自衛権が問題になる理由を解説します。


憲法9条は、戦争の放棄を定めています。


1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。




この規定は、簡単に言うと、侵略のための戦争及び、自衛のための戦争を放棄することだと解釈されています。


憲法は、国家権力及び個々の公務員が絶対的に厳守しないといけないものです(憲法99条)。


よって、政治家は戦争放棄の規定を、絶対に厳守しないといけません。


自衛のための戦争が放棄される理由



では、なぜ憲法は、自衛のための戦争までも放棄したのでしょうか。


これについて考える際、軍隊国内法について多少知っておく必要があると考えます。


しかし、これについてはこの問題の本質ではないので、後で紹介することにします。


話を戻しましょう。


なぜ憲法は、自衛のための戦争までも放棄したのかという話でした。


実は、過去の歴史において、侵略のためという名目で戦争を引き起こした国は存在しません。


「自分たちの欲望と利益のために戦争を仕掛け、相手を支配してやろう」という本音をむき出しにしたところで、多くの人の賛同は得られないからです。


多くの人の賛同が得られないと、戦争には勝てませんし、そもそも戦争は実行できません。


よって、歴史上、自らの利権を求める者達は、様々なテクニックを用い、戦争を引き起こすことを考えます。


一番利用されたテクニックとしては、「自衛のための戦争」です。


このままでは、自分たちがやられてしまう。だから先に相手をやっつけないといけないんだという理由から、戦争は引き起こされてきました。


多くの戦争は、自衛のためという名目で行われるものであって、侵略のためという名目で行われるものではありません。


ただし、最近は自衛という名目ではなく、正義のためという名目で戦争が引き起こされることが多くなっているような気がします。


このように国民を誘導するための手段は、近年非常に複雑化しているように感じます。


具体的には、悪役を作り出すこと、貧困を作り出すことから戦争が準備され、軍事産業が儲かる仕組みを作り上げ、一部の人達のお金のために戦争が引き起こされるというのが最近のトレンドみたいです。


国民がこのようなトレンドを見抜けない限り、国民の怒りは、全く別の所に誘導され、本来怒るべき相手を逆に支持することになってしまっているというのがよくあるパターンです。


上に書いた内容は、歴史上に明らかにされている事実であって、今後も同じようなことがおきないとは限りません。


未来のことは分かりませんが、過去のことは分かります。


このような過去の過ちから学び、出来る限り多くの国民が不幸にならないように考えだされたのが憲法です。


私自身も未来のことは良く分かりませんが、集団的自衛権について考える際は、多くの戦争が自衛の名目で引き起こされてきたという事実は知っておくべきだと思います。


軍隊と国内法



軍隊の目的



次に、軍隊と言うものについて基本的な知識を書いておくことにします。


軍隊の目的は、国家の最上位目標を保護することにあります。


国家の最上位目標というのは、簡単にはお偉いさんのことです。大臣や総理、政治家などをイメージしてもらえれば分かりやすいと思います。


軍隊は国民を守ってくれるものだと思っているなら、それは違います。


確かに、場合によっては、国民を守ってくれることもあるでしょう。


しかし、軍隊というのは、本来、そういう目的で組織されたものではありません。


軍隊というのは、国家の上位を守るために組織されたものです。


ここで、軍隊は、有事の際に、とんでもないことをする歴史上の例は非常に多いです。


具体的には、国民に自殺用の手榴弾を配ったり、多くの国民を無差別に拘束、殺害したりといった具合にです。


これはなぜかというと、軍隊は、お偉いさんの命令で動くからです。


ここで、軍隊においては、どんな命令であろうと、命令は絶対です。


個々の兵士が、いくら自分たちのやっていることは非人道的な行為であり、正義に反すると思っても、それは無意味です。


そして、お偉いさんの多くは、自分たちの身が危なくなってまで国民の安全を考えるということはありません。


命令を出すのは、国家の上位の人達であり、国民ではないのです。


彼らは、自分の命が危ないとなった時、自分と国民、どちらを選ぶことが多いでしょうか。


これは、想像する他ありませんが、過去の歴史を見ると、国民を盾にし、自分たちだけ助かろうとした人達の方が圧倒的に多かったのです。どんなに国民から支持された政治家であってもです。


そして、その時に使われるのが、「自分が死ぬことは国民ないしは国益の最大の損失だ。したがって、何を犠牲にしても自分が助からなければならない」という理屈です。


もしあなたが、政治家や軍隊を無条件に信頼しているとしたら、それは、旧日本軍を本気で信頼していた多くの国民達と同じレベルだということになります。


たとえ、未来において絶対的に間違っていることであっても、現時点でその間違ったことを本気で支持する人達の数は、非常に多く、半数以上を占めることが多いのです。


国内法による自衛



自衛のための戦争を放棄した日本ですが、本土に進行されたにもかかわらず、何も反撃できないということではありません。


これについては、例えば、正当防衛(刑法36条)、緊急避難(刑法37条)などの規定があります。


また、他国軍が本土で国民を攻撃しているとなれば、兵器を用いた制圧も様々な条文を根拠に許されるでしょう。


このように、国民の生命と安全を守るために使用できる国内法は数多く存在します。


よって、憲法が規定する戦争の放棄は、一般人が考えるような全く自衛できなくなるという意味のものではありません。


更に、中国や韓国が攻めてくるという人もいるのですが、中国と韓国が攻めてくる蓋然性は全くないと思います。


なぜなら、日本は、中国と韓国に条約という国家間の取り決めを締結しているからです。


国家間のやりとりには、可能性ではなく、蓋然性でものを考えなければなりません。


ちなみに、蓋然性というのは、「高い確率で」という意味になります。


確かに、中国と韓国が攻めてくる可能性はあると思います。


なぜなら、すべての可能性があるからです。もちろん、明日宇宙人が攻めてくる可能性だってゼロではないでしょう。


よって、こういうことを可能性で論じるのはよくないと私は思います。


あくまで、平和条約を締結している以上、両国が日本に攻めてくる蓋然性は、ほとんど無いだろうと私は考えています。


まとめ



今まで書いてきた情報をまとめると、以下の通りです。

1. 条文が抽象的に書かれてて、解釈の余地を残しているのは、事案に応じて妥当な結論を導けるという意味があります。日本の司法は、形式的、画一的な処理を望むのではなく、個々の裁判官に信頼を寄せているという面があります。

2. 条文を解釈する際、判例というものが参考になります。これは、裁判所による法解釈という意味で使われることが多いです。ただし、判例の正確な意味は、「裁判所が出した判決」です。注意してください。

3. 憲法というのは、国民に権利を保障し、権力を制限するためのものです。よって、権力側が、思い通りに書き換えたり、解釈を変更したりして良いものではありません。

4. 日本は戦争の放棄を憲法9条により宣言しています。これは、自衛のための戦争すら放棄していると考えられています。解釈的には、1項により侵略戦争を放棄し、2項により自衛を含めたすべての戦争を放棄してると考えられていますが、この辺りの話は省略します。

5. なぜ日本は、自衛のための戦争までも放棄しているかというと、戦争が、自衛の名目で引き起こされることが多いからです。侵略のためと言って戦争を引き起こすバカはいないということでしょう。

6. 軍隊は、国民を守るために組織されたものではありません。あくまで、上層部の命令だけで動き、国家の上層部を守るために組織されたものです。命令があれば、どんなことでも実行しなければならないのが、軍隊です。

7. 物事の多くは、可能性ではなく、蓋然性で考えなければならない。特に、影響が大きい事柄ほど、確率を重視し、失敗があったとしても、この一貫性を崩してはならない。


このように、前提知識を知っていると、知らないのとでは、結論を出すべきか、否かということが変わってきます。


ビットコイン



ビットコインと言うものは、国家の通貨にとっては、ライバル関係にあるものです。


よって、ビットコインが潰れて、一番安堵するのは、銀行よりも国家機関でしょう。


ビットコインが下落した時期が一般人に広まり、政治家が対応を実行する時期と一致しているような気がしました。


ビットコインは、昔からあるので、もっと早い時期にハッキングできたはずなのに、なぜこの時期なのか、ちょっと不思議です。


一般に広まり、大きく価値を上げた場面、国家に脅威となる段階で、事件は起こったので、これは偶然だろうかと思っている人は少なくないように思います。


ただし、一般に騒がれだした時期に値が下がるというのは、割りと当たり前のことなので、個人的には、それほど深刻なものだとは考えていません。


「一般に騒がれる=何らかの事象を理由に値が下がる」というのがごく自然なことだからです。


一連のビットコイン事件は、時期が時期だけにちょっと引っかかるような気がしますが、値が下がること自体は、自然なことのようにも見えます。



注意事項


この文章は、よく分かってない人が書いた文章です。あまり気になさらないでください。


実は、ここで書いた文章は、正確性に欠けるところがあります。


例えば、条文を解釈する理由についても、妥当な結論を導くためという理由を一つだけ挙げたのですが、実際は、もっとたくさんの理由が存在します。


具体的には、他の条文と矛盾する場合なども条文を解釈する理由になります。


このように、読む人によっては、不自然な部分があるかもしれませんが、この文章は、あくまで一般的な分かりやすさを重視して書きました。