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偏見を持たないこと

偏見を持たないことについて書きます。

偏見は持つべきではないと言われているけれど、実際はどうなのでしょう。

私個人の考え方としては、偏見を持つこと自体は個人的な生存に有利に働く場合があるということです。

例えば、移民の問題もそうですが、受け入れた場合と受け入れなかった場合、どちらがより厄介事に巻き込まれる可能性が高まるでしょうか。

答えは、受け入れた場合のほうが厄介事が増え、自分たちが不利益を被ることがあるかもしれません。

様々な偏見を持つ人の多くは、このような本質を持っている人が多いです。

つまり、「自分のことだけが重要だ。他人がどうなろうが知ったことではない」という本質です。

もちろん、これは悪いことではありません。自分の身だけを案じる考え方は、自らの生存に有利に働くでしょう。

これは、短期的視野に立った場合、正しいことも多いのです。

しかし、これは視野狭窄になりやすく、長期的視野に立った場合、大きなリターンを得るチャンスを逃します。

例えば、野良猫がいたとしましょう。

通常、野良猫は警戒心が強く、人間で言うと強い偏見を持っているイメージです。

もしかしたら餌をもらえるかもしれないし、かわいがってもらえるかもしれない。けれど、危ない目に合うかも知れず、その危険は犯せない。しかし、現代社会において野良猫をいじめる人は少ないと私は思いますね。

このような場合、偏見を持ったまま生きるのと、偏見を持たないで生きるのでは、この野良猫が一生をどのように過ごすかに大きな差が出てくることになります。

もちろん、偏見を持たないというのは危険な面もあります。

しかし、偏見を持った人間の一生が、非常に狭く、かつ容易に予測することが可能な範囲に留まるということも知っておかなければならないと私は思っています。

偏見を持たないことで無限の可能性が開けます。もちろん、危険もあります。もしかしたら死んでしまうこともあるかもしれません。けれど、リターンも大きいと思います。世界が広がるでしょう。

反対に、偏見を持つことで可能性を狭めます。しかし、リスクは軽減できますし、危険も減らせます。だけど、リターンは小さく、その一生は予測範囲内で決まってしまいます。

どちらが正解かなんてのはありません。問題はあなたにとって何が自然かです。

人は自然に、自らにとって最もふさわしい生き方を選びます。

私は偏見を持たないこと、または、偏見を持つことについては、そんなふうに考えています。

おわり。