欲しいものリスト

嫌いなもの

今回は、嫌いなものの話です。嫌いなもの、多い人もいるし、少ない人もいるのですが、大抵の場合、その原理を説明できると感じることが多くあります。

例えば、日頃から、あれ嫌いこれ嫌いって言ってる人をよく見かけますが、このタイプの人はこだわりが凄く強い人が多い印象です。

そして、このタイプの場合、好き嫌いというものがほとんど自分のできることに起因していることがあると思います。つまり、できないことを単に嫌いって言ってるだけという事が少なくありません。

次に、普通のタイプの人の話をします。

他人を嫌ってばかりいる人は、周りのみんなから嫌われてるからなんですよっていう人がいます。というか、そういう考え方をする人もいるわけですね。

これについては、確かにって感じかもしれません。少々、いじめっこ的な発想だとは思いますが。

私自身、自分の好みというのは意図せずして伝染するものだと思っていますし、更に言えば、周りは自分を映し出す鏡であるとも思います。

つまり、周りが醜く見えれば、それは自分自身なのかもねということです。

だから、「あなたがみんなを嫌いなのは、あなたが嫌われてるからよ」っていう主張というか、そういう考えは、ある意味であたっている私は思います。まあ、私の場合、そんなこと言いませんが、単に、鏡だよって言ってるくらいですが、いろいろな表現、考え方があります。

さて、この場合、問題は、どちらが先かということを思われる方がいるかもしれませんので、今回の話のポイントはその辺りです。

「鶏(にわとり)が先か、卵が先か」

よくそんな言葉で表現される問題ですね。

私の場合、その答えは、鶏が先。そして、鶏は自分。だから、この問題も自分が先。

さて、では卵とは何でしょう。それは、この世に発現していない何かであるということだと思います。私は文章を書いている。考えている。呼吸をしている。その時点で、この世に発現している。発現していない卵ではありえない。こんなことを考える時点で、卵ということはありえないのです。

つまり、ここで言う卵というのは、自分以外の何か。存在するはずのない何か。無である何か。そんな感じで捉えればよいかと思います。

ただ、私の場合、こういったことをある程度考えていますので、私は、あまり嫌いなものってないんですよね。

嘘っぽいですか。

確かに、嘘くさいですよね。私自身、「僕は嫌いなものないですよー」なんてことを言われたら、嘘くさいなって思います。

「それは単に、思いつかないだけなのでは?」ってなります。

この辺の説明についてですが、私の場合、自分のことを嫌ってる、快く思ってない人の空気というか、その人が全く離れた場所にいても、それを感じ取れる事がよくあります。

そして、そういうのは、非常に短文であっても、ほぼ確実に読み取れることがあります。「あー」とか「ほい」とか、それが自分に向けて発信されていない場合でも、それを読むんだり、見たりすると、何故か分かることがあります。この人、私の事嫌いなんだなあってのが。なんか伝わるっていうのか、なんだろう。

この辺、どういった仕組みになっているのか、私でも説明が難しいです。

しかし、無理してでも説明してみると、通常、すべての人の心は開かれてて、何かきっかけがあれば、それが全く関係ないものであっても、すぐにアクセスできるってことなんでしょうね。あくまで想像ですが。そして、無関係と思われるそれは、ここで言うときっかけに当たるわけです。そのきっかけを踏むと、書いた人の自分関連の情報がこっちに伝わるという感じだと思う。

伝わりやすい感情は強さで言うと、感動 -> 怒りや憎しみ -> 好き嫌いという感じ。

ちなみに、特攻で伝わった感情以外でも探ろうと思えばできると思うけど、通常はそこまではしないです。あと、自分関連以外の情報を引き出すのも、相当に難易度高いと思います。

けど、上で述べた感情なら、多分だれでも読み取れると思います。ただ、必要なものとしては、(1)相手の心が意図的に閉じてないこと(開くことよりも、閉じることのほうが技術的に難しいと思われ、デフォルトでは通常人は開いている)、(2)何かきっかけになるものを相手が発信すること(ただしターゲットが明らかになっている場合はこの限りではない)、(3)直感を信じる勇気くらいです。

また、気をつけなければならないのは、閉じると読み取れないし、読み取ろうとすれば、必然的に開くしかないってことです。だから、こちらが何らかを読み取った場合、逆探される可能性があります。つまり、こちらも相手から読み取れる状態にあるってことです。

少し変な話をしてしまいました。

私自身、嫌いなものはあまりないって言いましたが、それは、意味が無いことだから、ないってことです。

では、意味が無いというのは、どういうことでしょう。

あなたは、人生をコントロールできますか。自分をコントロールできますか。何をコントロールできますか。

実は、人というものは、自分で決め、コントロールできることは非常に少なく、0.1%にも満たないと私は考えています。

残る99.9%は、環境によるもので、人は自分が選択した、決定したと思い込んでるけど、自らがコントロールできる領域などは殆ど無いと思います。

だから、環境を変える努力をする以外、私達にはやることがないわけで、だからこそ、何かを嫌ってもあまり意味が無い。正直、どうでもよいことであり、嫌っていたけど、使ってみれば凄く良かったなんてことはしょっちゅう起こり得ることだと思うし、その意味では、有効な判断材料、指標には成り得ない。間違いばかりを増幅させるので、何かを嫌う感情は邪魔なものでしかない。

ただ、私にも他人の感情というのが伝染してしまうってことはありますし、むしろ逆に多いのではないだろうかと思うのだけど、日頃、何かを書く上では、そういったものの影響を受けてしまうため、「これはこうなんだ」とか「こういう人は、こういった傾向にある」とかそういった指摘を行ってしまうことが良くあります。

まあ、嫌いだからやってるってわけではなくて、何か書くことを思いつかせるきっかけになったので、それを書いてるってだけの話です。

だから、きっかけとなり得たことについては、あまり気にしてほしくもないのだけど、そんな感じです。

えっと、一体何が言いたかったのだったけ。

そうそう、私が先になることはあまりないということとかなあ。

鶏であることを自覚する人は、卵にでもなれると思うのです。それを望むなら。←嘘です。すいません。