欲しいものリスト

善行のたった一つの報酬


厳密には、善行に対しての報酬は基本、何もありません。私はそう思います。

良いことをしたからと言って良いことがあるとは限らないし、悪いことをしたからと言って悪い目に合うのかというと、そうでもありません。

悪いことをして利益や報酬を得ている人なんてたくさんいますし、それが社会的、人間的な成功につながっている人もたくさんいるでしょう。

したがって、いいことをすれば、いいことが必ずあるので、みんないいことをしましょうという考えは間違いだと思います。

それは単に自分たちの都合だと思います。

でも世の中には頑なにこういうことを信じている人もいるんですよね。それを強制しようとしたり、広めようとしたり。なんでかというと、それは自分たちの利益になるからだと思われます。自分ではやらないのに、他人にはそういうことを言うんですよね。確か、前の都知事の人もそんな感じの人だった記憶があります(国歌強制のあたり)。

それ自体の行いに関しては別に否定しませんが、私はあくまでそれは自分で決めることだと考えています。いいことをするかどうかは、あくまでデメリットというかその危険性を認識した上で自分が決めることでしょう。

いいことをするかしないかというのは、自分で決めることです。

ここで、自分で決めるというのはどういうことでしょう。

それは、「いいことをしても自分の利益にならないかもしれない」ということを自覚していることだろうと思います。他にも色々ありますが大前提として。

「いいことをすれば、いいことが必ずあるので、いいことをする」というのは、それは単なるプログラムです。単にプログラムに従っただけであって、自分の考えではありません。

そして、これがダメなところは、そのプログラム自体が完全に間違いだからです。

つまり、相手に間違ったプログラムを記憶させ、信じさせ、誘導している時点で、それは非常によろしくないことだと思います。

基本的に、善行というのは、自分の生存を脅かしたり、もしくは生存に不利になったり、または、その生存が危うくさせたりすることがあります。

そのような危険性を認識させずに、いいことをしたらいいことがあるのでやりましょうというのは、野生、もしくは生物本来のプログラムから見ると死ねと言ってるようなもので、そういった教えがあること自体、本当によろしくないなと思っています。

それは危険な行為であり、死ぬかも知れず、不利益を受けるかもしれないが、それでもやるかやらないかは自分で決めることだと思います。

宗教的な考えのうち、私が嫌いなところ、その1でした。おわり。