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本質と非本質


以前、本質の話をした。具体的には、「やがて人に優しくできなくなるのはなぜなのか」という問いについて、「それは利益がないからだ」という答えだ。

しかし、本質的な話というのは、あくまで本質であり、非本質ではない。

物事を理解するには、本質のみではなく、非本質も理解しなければならない。

なぜなのかと問われると、本質は完全ではないからだ。本質の説明は、あくまでポイントの話であり、重要部分の抽出だ。

次に説明するのは、「利益がない」というのはどういうことかだ。

この「利益がない」というのは、正確には、「割にあわない」の意味である。

例えば、1日に24時間休むまもなく働かされたとしよう。そして、報酬として、「1円」を受け取ったとしよう。

この場合、多くの人は、こう思う。「割にあわない」と。

そして、人に優しくしても、それによってもたらされる利益が、自分の考えている結果と違っていて、そして、それが何度も繰り返して起こった場合、人はいつしか「優しくする」ことをやめてしまうだろう。

これは、自然なことだ。

ただし、最初から「やがて人に優しくできなくなるのは、割にあわないからである」と答えるのは、個人的には本質的な答えではないと考えている。

なぜなら、その答えは、非本質的部分を多く含んでいる表現だからだ。

私が述べる答えは、多くに、本質的な答えと非本質的部分を含んだより完成に近い答えがある。そして、最初に説明するのは、前者であり、順を追って後者を述べたりすることも稀ではあるが存在する。

現在、ネタ切れ気味なので、特に、前回書いた記事を補足する形で文章を形成している。

話を戻すと、割に合わないという価値観について少しだけ説明する。

割に合わないというのは、本質的には、心の問題だ。心の持ちようでいくらでも変容させられるものであると考えている。

例えば、上記の例で挙げた1円の報酬についても、今までお小遣いを貰ったこともない子供なら、そのコインは、とても喜ぶものかもしれない。

しかし、大人になるに連れ、それでは足りなくなってくる。より快適に暮らすため、より便利なものを手に入れるため、場合によっては生存のために、より大きな報酬が必要になってくるからだ。

これは、自然なことだ。良い悪いの問題ではない。

そして、この価値観が、「人に優しくするかどうか」についても影響を及ぼしている。私はそう考えている。

それが、「人に優しくしても、割に合わない事が多いので、人に優しくできなくなってくる」という答えに繋がっていく。

ただし、先程も述べたが、これは心の持ちようの問題でもある。

正義のヒーローは、確かに、大きな結果、報酬を得ていることが多い。そして、それを目指していて、すぐに結果が得られなかったり、得られたとしても、それが思っていたよりも小さかった場合、人々は、「割に合わない」と考えるだろう。

さて、あと一つだけ、以前の記事で最後に述べたことについて今一度、説明をしておこうと思う。

「思いと考え」の部分で、「脳内シュミレーションとそれに基づく予測は、私の個人的な考えとは少し遠い場所に位置する」という部分だ。

これは突然の文章なので、驚いた方もいるかもしれない。しかし、どんなことにも意味があり、おおよその意図があるのが通常だ。

この文章を書いた意図は、私の個人的な考えが全く別のところにあるということを示唆している。

私は、「人に優しくしても、別に損はない」という考え方をする。

そのため、「利益がない」と「損はない」というこの2つの価値観の違いには、大きな隔たりがある。

だからこそ、私はそもそも、この「利益がない」という考え方があまり理解できないでいる気がする。

したがって、これを私の考えとしてしまうことに、違和感があった。

私は、別に損はないんだから、優しくしてもいいんじゃないか、助けてあげられるなら助けてあげればいいじゃんってそう思っている。

しかし、人によっては、あたかもそれが損することのように捉えている人もいるわけで、そういうのは見ていて分かる。

ただ、「人に優しくする」のが正解かというと、それは違う。

人に優しくすることで疲れてしまい、まるで損しているように感じる人がそれをしても不幸にしかならないと思う。だからこそ、私の「別に損はない」という考えや価値観をそのまま適用しても意味が無い。

人には適正というものがあり、「人に優しくする」ことがその人にとっての正解とは必ずしも限らないのだ。

これを生まれ持った性質と呼ぶ。

したがって、これについて私は思うところがあまりない。つまり、「別に、そんな無理して人に優しくする必要はないんじゃない」って、そう思うのだ。