双角カンケイという漫画を読んだ


すごい面白かった。修羅場のような展開はハラハラさせられて、こういうジャンルの漫画では珍しいんじゃないかなと思ったりした(単に観測範囲が狭いだけ)。


変なものを愛し、固執する人は怖い


他にどうしようもないからなのだろうけど、なんかあれだなと思ったりした。


最大の後悔



以前、アニメ、アルドノアのスレインの話をしたとき、彼の最大の後悔について、ある意見を書きました。

具体的には、信じきれなかったのが最もダメージを受けるというようなことです。

今回は、これについて少しだけ書きます。

実は、人を信じて裏切られるようなことがあっても、上記に比べてあまりダメージは受けません。そういうこともあるよねという程度。

なぜなら、それは他人のことだから。自分のことではないからです。

信じていたけど、途中で信じるのをやめてしまって、後で信じ続けることが正解だったとわかることほどの後悔はありません。

たとえば、あなたはゲームをしていたとしましょう。そこで、確信をもって最初の戦術をたてたとします。しかし、大きなことであれ、小さなことであれ、それを揺るがす場面が幾つも訪れます。最初の戦術を見直した方が良いのかと、あなたは少なからず迷うこともあるでしょう。

信じ続けることほど難しいことはないのです。しかし、これができれば、あなたの勝ちです。生きていようと、死んでいようと。

このような場面で、2つのパターンのうち、どちらがより大きな後悔でしょうか。一つは他人に裏切られてミッションが失敗すること。もう一つは、他人を信じきれず、ミッションを失敗すること。

多くの場合は、後者の方が圧倒に後悔が大きいと私は予測します。

そんな話。


祭り好きな自分



色々と祭りについて書いたけれど、私は祭りって結構好きなんですよね。

正確には、祭り自体ではなく、祭りの雰囲気が好きです。

大きなお祭りの時って、とても静かになるんですよね。家の中でも外でも。それは、みんなテレビにかじりついていたりするからなんだけど。

これは、例えば、サッカーとか、オリンピックとか。

また、静かでない系のお祭りでも、みんなが浮かれていて、楽しそうにしている所を見るのは好きですね。

私は、ああいうお祭りの雰囲気がすごく好きで。

なので、私は、お祭好きな人間と言えるでしょう。

でも、お祭りって正しいものかと言われると、そうではありません。

他に正しいお金の使い方なんていくらでもあると思います。

1度しか使わないようなドームに数千億、数兆を使うよりも、本当に困っている人に配布したほうが、良いでしょうね。当たり前の感覚として。

まあ、こういうことを言うと、経済学者のへんてこな説が聞かされることになるんだろうけれど。

ちなみに、経済学者の言うことは、実は過去を遡ってみると、そのほとんどが当たっていません。もし彼らが未来における経済を正確に予測できるならば、ご本人は、株でもされたほうが良いのでは?

でも、経済学者のほとんどは、自分の全財産をその予測に賭けることをしない人がほとんどです。

と、今回もあまり面白い話にならなかったなあ。

ここで、少しだけ面白い話をすると、経済学者の予測はランダムのそれよりも精度が若干悪く、投資家の間では、逆指標となることが少なく無いと聞いています。つまり、「経済学者が買い上がるといえば、実績のある投資家は売り場を探し始める」という感じですね。まあ、あくまで多少の警戒程度の意味合いなんでしょうけれど。

さて、今回のお話をまとめると、私はお祭りって結構好きなんですよね。しかし、近く日本で開催される予定のオリンピックとか、私は辞退した方がいいんじゃないかっていう気は個人的にはしている。そして、今後も悪い話はいっぱい出てくると思う。

外の話で恐縮だけど、ブラジルなんかを見ているとあれですよね。普通に「他にやることあるでしょ、大丈夫なの?」と突っ込んでしまう、そんな感じ。


ChromeBookが人気みたい


海外で人気みたいですね。値段の安さというのもあるのでしょうか。


アルドノアのキャラ



キャラの名前、これを書くのに、わざわざ調べた。名前なんて、ほとんど覚えてないよー。

この作品はキャラの特徴が明確に描かれているので、素晴らしい作品。

伊奈帆(いなほ)


彼は、好き嫌いで物事を判断しないタイプ。珍しい。

彼が好き嫌いで物事を判断するタイプだったら、多分、スレインを殺してただろうね。スレインがやったことを考えると、ねえ。その点で彼は特異だといえる。

ただし、優しくは...ないかな。彼は優しくはないと思う。

賢さと優しさを両立させている人は殆どいないからね。

なぜなら、賢さというのは、この世の優しくない部分に目をむけることであり、そこから目をそらしてしまった人達に、とても厳しい人が多いんだ。

なぜ厳しくするかって?そりゃ、自分と違うからだよ。人は自分と違うものに対して、怒りさえ覚える人が少なくない。

反対に、優しい人は、言葉の通り怒りはしないだろう。これを聞いて、一体何のために賢くあるのか考える必要があるだろうね。

いや、答え走っているよ。だって、この世の優しくない部分をモロに経験してしまったんだから、そりゃ賢くもならないとおかしいだろう。だからこそ、平凡な人間は通常、歳を重ねるごとに賢くなると同時に、他人に対して厳しくなる傾向にあると考えられる。これはとても普通なことだ。だからこそ、そこから外れる人は貴重だと思う。

次に、上記で述べたような平凡な賢い人の感情について説明する。その多くは多分、子供のような感情で「自分はこんなに大変な思いをしているのに、あいつらは楽をしている」とか「楽をしている奴は痛い目にあえばいいのに、ざまあみろ」ということを日頃から考えているんだろう。

だから、賢くはあっても、優しくないのが通常だ。この両立は普通の人間には難しい。

しかし、ここまでは、あまりイナホには関係ない話だった。

彼は、優しくもないけど、厳しくもないからね。彼は、最も確率の高い合理的な行動をする人だ。だから、適当で感情的な厳しい言葉なんて、彼の口からは出てこない。

世の中は実証を必要としている。したがって、言葉よりも行動のほうが遥かに重要な意味を持つ。

その点で言えば、彼はカッコよさがある。

アセイラム(姫)


彼女は、イナホとは反対に、賢くはないけれど、優しい人。

私は、優しい人のほうが好きだな。だって、普通そうだろう。

アセイラムが賢くないというのは、火星人の企みを見抜けなかったりと、人間が考えそうなことで足元をすくわれたりしているところを見ると、あまり賢くはないと思う。「暗殺はただの口実」ということに気づいたのも遅すぎる。

ここで、私は、彼女は権力を持つにはあまり適役ではないと考えている。賢さも兼ね備えた人でないと、色々と厳しい所がある気がするから。

でも、彼女は今回の件で一番成長したんじゃないかなと思う。

スレイン


スレインは、なんだろう。作品的には、「後戻りできなくなった人」だろう。アセイラムを愛しすぎた人でもある。

そして、彼の痛恨の極みは、アセイラムが目をさますことを最後まで信じ切れなかったことだろう。

これによってスレインは後戻りできない状態に移行してしまったと考えられる。

このことは彼自身、最も悔やんでいることだったのではないだろうか。

ずっと信じてきたことを最後の最後で諦めてしまった。けれど、信じることが正解だと後で分かることが、どれほどの後悔か、私にはよく分かるよ。

「今さら後戻りするのは遅すぎる」

「うん、そうだね」

しかし、中にはすぐにリセットできる人、修正できる人も稀ではあるが存在する。だけどなかなかできることじゃないだろうね。今までやってきたことを全て捨て、なおかつ自分が間違いだったと認める事ができる人は多くはない。

普通にいい人が、後戻りできなくなってとんでもないことをやらかしてしまう悪い例とでも言っておこうか。

でも、最後にはアセイラムがそれを阻むことになる。

彼の目的からすると、これが一番効果的で、かつそれは彼へのトドメを意味しただろうね。

でも彼女はスレインのことも考えていた。しかし、それは彼女の本質から考えれば分かることだと思われる。彼女は優しいからね。

ライエ


このキャラは、「火星人はみんな敵」といってた火星人。

鏡を使えば彼女の本質は容易に判明する。

彼女を一言で言うと「嫌いな人」。いや、私の好みは関係ないよ。

彼女は色んな物を嫌っている。そして、姫の突発的な殺人未遂すら実行してしまう。

彼女は、一体、なんなんだろう?と思った人も少なくないのではないだろうか。彼女の行動は意味不明だと。

しかし、私はこれを当然のことだと考えるし、特に驚くべきことは何もないと考えるし、予測できることだったとそう考える。

何故かと言うと、先程も述べたように、彼女は、「嫌いな人」だからだ。

彼女は、他の誰よりも自分が嫌いな人なんだよ。それだけのこと。

そして、この性質を持った人の近くに高度な人格者、能力者などがいる場合、彼女は自分自身に耐えられない。

つまり、彼女とアセイラムは、合わないのだ。性質的に全く合わないのだ。

だから、一緒にいては、何かやばいことが怒る予感がする。私の場合はだけど。このタイプの人達が一緒にいるところは、見ていてハラハラするよ。

彼女はアセイラムを見て、「嫌いな人」スキルをますます悪化させる。そして、アセイラムはそれに気づかない。それに気づかないアセイラムを見て、ますます彼女は激怒するだろう。

そういえば、ついこないだもこのスキルを持ったキャラを見たことがあったなあ。えっと、化物語だったと思うけど「嫌いだ、嫌いだ、アララギ、私はお前のことが大っ嫌いだ」っていう数学が得意な人なんだけど。まあ、そんな感じで。

自分を最も忌み嫌う人間というのは、往々にして、他者を嫌い、憎悪することもよくあることだからね。しかたがないよ。それがこのスキルを持った人の特徴だからね。

いや、悪口を言っているわけではない。ただの本質の話。

現に彼女の態度は、後半はとても改善されている。こういう奴がいても、全然いいよ。

ただ、環境によって「嫌いな人」という本質の悪い面が出てしまっただけの話。

ニーナ


デューカリオンの操舵手を務めてる子。

この子、好き。

うーん、特筆すべき特徴という特徴がないのだけど、とてもかわいい子だよね。

もっと掘り下げてくれれば良かったかもだけど、彼女は全く掘り下げられていないので、うーん、どうしようか。

何か書いたほうが面白いということだったら、適当なことでも書くよ。

適当に言うと、彼女の本質はノーマル。

いや、それは分かっているよと思うひとが多いかもしれないけれど、実はこの特徴を説明するのが一番めんどくさい。

なぜなら、それは主に消去法によって確定されるから。

つまり、この場面、他の特徴的なキャラだったらどういう反応になるのかなというのを考えていって、そこで彼女はノーマルだっていうことを言わなければならない。

まあ、それでも特徴的でない彼女の特徴を述べるとするならば、「かわいい女の子」だろうね。そういう描かれ方をしている場面がいくつかある。そして、これが作中で言う彼女の一つの役割だったとも考えられる。

例えば、姫と衣装交換したり、軍服が可愛くないから制服を着たりとか。戦いばかりじゃ、疲れちゃうし。それにトゲトゲした人ばかりでも疲れちゃうし。

ユキ姉


主人公のお姉さん。

さて、だいぶ書くのも疲れてきたので一言で。

主人公のお姉さん、助けてくれたシーンもあるけど、多くに主人公の邪魔をしてた印象がある。


アルドノア・ゼロの再視聴


何となく再視聴してみた。

この作品、すごく面白いんだけど、あまり評価されてないぽいのはなんでだろうと思った。

もしかすると、少し早すぎたのかもしれない。

感想みたいなものは当時視聴してた時になんか書いてた気がするけど、覚えてない。したがって、再視聴することで、意見が変わったのか、変わってないのか分からない。

私の感覚からすると、多分あまり変わってないし、全く同じようなことを書くかもしれないけど、とりあえず感じたことを書いていく。

それぞれのキャラの印象は最後に書くとして、まずは、背景的なことから。

この作品は、人が嘘をついた時や緊張した時に発する動作が分かりやすく描かれていたりして、細かいところもしっかりと作りこまれている印象を受けた。

こういうサインを読み解くと、イナホもイナホで割りと分かりやすいやつだと私は思う。

そして、火星人を見ていると、本当に今の地球人と変わりないなあと感じた。高度に文明が発展した超人類だけど、精神性はまるで変わっていないんだなあと、そんな風に思ったのだ。

ただ、その態度は作中ではちょっと風変わりな描かれ方をしていた。が、理解可能な範疇だと思われる。

火星人は地球人を自分たちよりも劣った種族として見下していた。その立ち居振る舞いは、何か勘違いした古い時代の貴族達のようだ。

多分、火星人と地球人で立場というか文明が逆なら、地球人は、そんな感じの態度や振る舞いになってただろうと私は推測する。過去の歴史上、貴族制度が現在よりも強固で、明確な時代でもそうだったように。

もちろん、火星にも地球にも色んな人がいる。良い人もいれば、悪い人もいる(正確には野蛮な人とそうでない人だが)。しかし、大多数を占めるのは、その環境から導き出される最も納得のいく答えだ。

また、この作品は戦争を上手く描いていたと思った。私が見てきた中で一番、これが現実に近い戦争だろうなってそう感じた。そう感じさせるほど、素晴らしい作品だった。

追いつめられた時、人はどう行動するのか。圧倒的な文明さというものが、人にどれほど残虐で愚かな振る舞いをさせるのか。権力者がどうやって戦争を引き起こし、兵士を焚き付け、どのようにして目的(利益)を獲得するのか。そういったものが描かれていた。

そういえば、これって、どこぞの「祭り」に似てるなあと思った。

このことを語るとなると、少しばかりポイントの説明が必要になる。

「祭り」ってなんのためにあるのかというと、国民を喜ばせるため...じゃあない。国民を浮足立たせて、お金を使わさせるため、いや、正確には権力者(開催者)や関係者、有力者が儲けるためにあるものだ思う。そういった稼ぎ場を「祭り」というのだろう。

例えば、経済効果というものがある。これは、オリンピックという名目上、予算をぶんどるための説得に使われるものだ。それ以上でもそれ以下でもない。

そして、オリンピックという名目で予算が取れれば、公務員は、それを自由にできる。もちろん、公務員と言っても色々な立場の人が居る。議員や汚職団体、献金企業なども、あちら側だと考えたほうが良い。

経済効果の多くは、名ばかりの偽りで、国民のもとには当然、還元されない。なぜなら、国民はお金を払う側だからだ。決して、受け取る側ではない。それを理解している人が少ないように思う。受け取る側というのは、議員や関係団体など一部の人間に限られる。

経済波及効果というのは、正確には「国民」が得る額ではなく、「国民」が損する額として考えたほうが、その実態に近い。

例えば、オリンピックが開催されたとして、あなたに何らかの還元がなされたことがあっただろうか。「ない」と感じた人のほうが多いと私は推測する。

さて、しかし、あなたへの還元はないが、こういう「祭り」が開催される場合、通常は、(1)あなたは支払うべき税金が増え(支払うべき債務が増え)、(2)あなたが受けるサービスの質は低下する。

戦争もこれに似ている。負担はすべて国民が負うべきものだ。反対に、利益は権力者(もしくは権力に近い人間)が受け取るのが普通だ。

あなたは、戦争に勝てば何らかの利益を得られると考えられているかもしれないが、その殆どは幻想に終わるだろう。

例えば、「国民の生活が困窮して、どうしようもない。戦争でもして、奪い取るしか手がない」という状況を想定してみよう。

この場合、本当のことを言えば、割りとどうしようもない。戦争を仕掛けた場合、普通はますます状況が酷くなる。そして、よくはならない。なぜなら、戦争にはお金がかかるからだ。

今回、火星というところは文明だけが発展したイレギュラーだったが、普通こんなことはありえない。

また、火星の皇帝が国民にやったことも興味深い。彼らは自らの政治の失敗を戦争の理由にしている。火星国民は怒っていて、その怒りの矛先を地球に向けたのが、彼らのやり方だった。それによって、元凶である皇帝は支持され、地球が非難の的になる。

これはほんとうによくあることで、何故か自らを虐げる者を支持し、全く関係がない救いの手を避難する人間も多い。いや、貧困に陥ったものの行動というのは、ほとんどが反対なのだ。本来やるべきことと反対のことを彼らはやりたがる。

そして、こういうことは、外から見て明らかなことでも、内からは全然わからないのだ。

しかし、この情報を正確に国民に伝えたところで、彼らは納得しない。だから、色々な詐術を行う必要がある。

それが、経済効果であったり、もしくは、靖国思想(軍国思想)だったりするわけだ。

ちなみに、靖国思想とは、「兵士として国を守って死んだ人間は、永遠の天国に行ける」という靖国神社の思想のことを言っている。

調べてもらえればだいたいのことは分かるだろう。戦争においては旗から見ればあまりにも滑稽で荒唐無稽な話がマジで語られる。

したがって、ポイントだけ述べるが、「本当のことを言えば、誰も戦争に行きたがらないから、なんとか騙す必要がある」ということだろう。

戦争に求められるのは、いかに民衆を熱狂させ、利用し、騙せるかということが最も重要になる。これは歴史を学んだものなら誰でも知っている。

このアニメでは、「姫暗殺を企てた地球人に正義の鉄槌を」という名目で攻撃が開始されている。

うーん、長くなってしまったので、続きは次回。

(今回はあまり面白い話にならなかったなあ


iPhoneSEを買えばよかった


iPhone SEが発表されて、値段も見た目もいい感じなので、こっちを買えばよかったかもなと思いました。

iPhone5sのデザインを採用するのは、センス良さがあるなあと。

追記 :

新古品で購入したiPhone5s、あまり使ってないので、どっちでもいいかという気がしてきたけど、SEは魅力的。


今期(2016-03)のアニメ



今期のアニメは面白いの多かったと思います。

このすば、大家さん、僕だけがいない街、GATEなどを見てました。全部普通に面白かったですね。

あ、そういえば、新あたしンちも見たな。

このアニメは小さい頃に見てたやつで、その頃は既に放送終わってた気もするけど、親がDVD借りてきてね。それがきっかけで知った作品(だったと思う)。その後、自力でDVD全話見たという。

内容的には、あるあるだったり、こんなやつ(主に母)いないよ、だったり。結構、面白いよ。

で、今見ると、面白いのは面白いんだけど、居酒屋の話とかがつまらなすぎるとかそういうちょっとした不満はある。けど、やっぱり面白いね、このアニメは。


あまり覚えてない嫌なこと


私って、なんというか、今まで嫌な出来事とかトラウマとか聞かれても、実はあまり覚えていないんですよね。自己防衛機能が働いているようだ...。

そりゃ、たくさん嫌な思いをしたり、悪口や陰口を言われたりしてきましたが、具体的なことは何一つ、割りと思い出せなかったり、ぱっと出てこなかったりするので、よくもあるし、悪くもありそうな気がします。


僕だけがいない街(アニメ)の感想


実は、コミックのほう、最後まで読んでいないので、アニメで見られるのを楽しみにしています。11,12辺りは未知の領域。とはいってもある程度は予想は立ててはいるのだけど。

しかし、アニメでは重要な部分がいくつも省略されているようで、少し残念に思います。これでは、犯人の不気味さがあまり伝わらない。

なぜここを省略したのかという理由ははっきりしていて、民放が見せたくない部分だったからでしょう。まあ、全12話というのもありますが。

彼らは、往々にして、真実であろうとなかろうと、見せたいものしか見せないし、利益になるものしか載せないという本質がある。

そして、犯人の立場も重要です。犯人は、学校の先生であり、国会議員。もし犯人がそこら辺のチンピラなら、その不気味さは描かれていたような気がします。

彼のような立場にある人間の現実社会での犯罪行為も、あまり報道されることがないのも問題。

彼らが植えつけたがっている印象ははっきりとしていて、「先生や国会議員は皆、悪いことなどするはずがない。したがって、国民は安心、安全で、何も心配する必要はない」という感じのもの。

しかし、これは一般国民の印象や認識とは大きな齟齬があると私は感じています。

その点で言えば、この作品の犯人はベストチョイスだったと思う。

しかし、犯人の不気味さや残虐性が伝わらないのは、残念なところ。いい加減、アニメはTVという枠組みから離脱したほうがいいのかもしれないなーとこの作品を視聴してててそう思いました。

と、ここからがアニメの予想だけど、11話で主人公は記憶が戻っていると言ったところで終わりました。

重要なのは、いつ戻ったのか。きっかけは何だったのか。

まず、犯人に呼び出される前に記憶を戻したのなら、主人公は犯人を確実に追い詰めるため、罠をはってた可能性があります。だって、犯人の犯行の多くは時効。その他は、証拠不足です。そのため、犯人を追い詰めようとしたら、犯行を実行させ、そこを押さえる必要があります。つまり、主人公は自分を囮に罠を張っていたのかもしれません。

次に、犯人に呼び出された後に記憶を戻した場合です。この場合は、主人公は割りとピンチだと思われます。主人公はアドリブで機転を利かせなければピンチを脱することは出来ないでしょう。

では、記憶を戻したきっかけは何だったのでしょうか。

確率として高いのは、トントンです。が、私はその前から記憶を戻していると考えるので、その視点で再視聴してみないと判断できないですね。...面倒なのでしませんが。そういえば、漫画だとこの辺一瞬でできるんですね。

ともあれ、最終回、楽しみです。


SAOLSの裏ボスや武器など



裏ボスや全キャラを集めたり、武器を集めたり。

エクスキャリバー、聖剣エクスキャリバー、カゲミツ_4(光剣)、煌光剣クラウ・ソラスを手に入れてみました。

適当にクエストを受けていれば、強い武器は手に入るようになってます。









ボス攻略


セブン(クエスト)


エクスキャリバーの取得には、セブン(クエストver)を倒すことが必要です。

しかし、このセブンは、HPが回復していきます。なので、ある程度のスキルが揃っていないと難しいです。

具体的には、ボスキラー、クリティカルヒット+などをキリトが覚えるくらいまではレベル上げが必要だと考えられます。

それまでは、他のクエストを攻略していくと効率が良いと思われます。

最終的な感想


早くも飽きてきたけど、気分屋の自分が最強武器を集めるくらいには良いゲームです。

ただ、傑作かと言われると、答えはNOです。PSPのSAOゲームもそうでした。クリアしてある程度強くするんだけど、2回目遊ぼうとは絶対に思わない。そんな感じ。あと、心にもあまり残らない。僅かな思い出としては、作業をやらされた感想、ひたすら使いまわしだった感想しか思い浮かばず、人によっては、あまり、おすすめ出来ないかと思われます。

反対に、私が今までクリアしたグラビティデイズとFF10は胸を張って人におすすめできる作品ですね。こういった作品たちとは大きな隔たりがある良作です。もし興味を持たれた方は、そのへん、頭に入れておいて欲しいかも。

個人的には楽しめたし、良い作品だとは思いますが。


レインが気に入った



個人的に、SAO LSで面白かった点は、主要ストーリーとレインのキャラが良かったことです。主要ストーリーは、ある程度の緊張感があり、面白かったです。また、正妻であるアスナが強いのもポイントが高い。私のパーティーはアスナがいないと死にます。つまり、色んなキャラが使えるけど、ストーリー軸を壊していないので、バランスが良いと思います。

レイン




これは、単に好みの問題ですが、私は、レインというキャラが非常に気に入りました。

これについては、まずパーティーの話からしなければなりません。

私のパーティーは初期ではキリト、アスナ、ユウキでしたが、レインが来てからは、キリト、アスナ、レインでした。レインが想像以上に強かったので。

ちなみに、SAOでは私は特別にお気入りキャラというのはいなくて、あえて言うならシリカ?くらいでした。お気に入りがいれば、それを使うのですが、まあ、いないので、強いキャラで構成しています。

で、いつの間にかストーリー上もレインのキャラがいいなーと思うようになっていました。パーティーに入れているので余計にだったのかもしれませんが。

したがって、最終の裏ボス?だったことに驚きつつも、実はそういうのがなかったとしても、レインは個人的なお気に入りキャラです。

黒雪姫




SAO LSでは、色んなキャラが使えるようになっています。例えば、黒雪姫(ブロック・ロースタ)など。

黒雪姫というのは、どうやら違う小説のキャラしい。強いけど、魔法が使えないのがなー。あと、衣装が通常ではなんか浮いてるので、違う衣装も欲しいかな。

セブン


あとは、セブンやクロ(SAOのスピンオフで登場するらしい?)がいて、使えます。私は、レインは好きなんですが、セブンはあまり好きではない。ゲームプレイしててそんなことを思いました。別にゲームの設定上どういう立場かというのはあまり関係なくて、性格がなんというか怖い。

やってること自体は全然悪くないと思うんだけどね。

ただ、私の印象として、セブンは良くは映らなかったなあ。いや、むしろ最悪に映ったというのが本当のところ。こういうタイプの人が周りに担がれてやってしまうこと、それは非常に恐ろしいことだと、そんなふうに感じたから。でもこれ自体はマイナス要素ではないんですよね。内容いかんによっては、世の中に大きくプラスになる素質だと思う。

でも、私はこういう人はあまり好きじゃないなあ。


SAOLSをクリアした


SAO LSをクリアしました。1年くらいほったらかしだったのですが、最近またプレイし始めてクリアしました。

感想としては、普通に面白かったです。確かに、色々と不満点はあるものの、楽しくプレイできました。

私は、Vitaで購入したソフトは結構ありますが、クリアしたソフトは少ないのですね。

覚えている限りでは、(1)グラビティデイズ、(2)FF10くらいで、今回クリアしたSAO LSを含めると、全部で3つです。

私のような気分屋に最後までプレイさせるゲームは珍しいので、その点でいえば、SAO LSは良く出来ていると思います。

SAO LSの不満点


ここからが不満点というか、私がゲームを作る場合はこうするのになーというのを書いてきたいと思います。

色々詰め込み過ぎ


まず、このゲームの不満点の本質から。

「色々詰め込み過ぎなので、もっと削るべき」

このゲームの不満点の数々は、色々な要素を詰め込み過ぎたことで発生しているように思います。

では、何を削ればいいのか。

思うに、(1)使い回しをバッサリ削る、(2)クリアまでのストーリーを削る、です。

(1)使い回しを削る理由は、プレイヤーに「このゲームは同じことばかりやらされるな」という印象を与えてしまうからです。もう二度と最初からプレイしたくなくなります。これは非常によろしくないと思いました。これなら、一切を削ったほうが印象としては良いと考えます。

(2)ストーリーを削る理由は、このゲームに脱線やファンサービスがクリアまでにたくさん出てくることで、やる気が失せるからです。ストーリーを進めるやる気が減少していきます。というか、このゲームのファンサービスのイベントは、正直、気持ち悪いと思います。

このゲームの中心的ストーリーは、謎や緊張感に満ちていて、とても良かったです。せっかくのこの雰囲気を壊してはいけないと思いました。なので、クリアまではあくまで一定の緊張感を保ったままのストーリーで展開し、それ以外一切を削ったほうが良かったと思います。

ラスボス


また、補足として、ラスボスの変身がダサかったのが残念感があります。何がダサかったのかというと、登場までの物語性のなさです。

とりあえず、デカくて神々しく強そうなボスを出しとけばいいだろ感が伝わってきました。

これならば、最強魔法使いとしてのセブンをラスボスにしたほうがよっぽど良かったと思いました。ひるまないようにすれば、強さもそこそこ調整できるでしょう。

もちろん、デカくて強そうなボスもありです。そこに物語性がないことが問題なので、こういうボスを出すのなら、それなりの説明が必要だと思います。ラスボスは突然過ぎて、なんというか、個人的にはついていけなくなりました。

あと、声とかもないほうが良かったです。ついていけない上に、痛々しい感じ。ラスボスを盛り上げるにもポイントがあって、ここぞというポイントさえ抑えておけば、余計なものは付加しないほうが良いと思います。

私なら、ラスボスはBGMと戦闘直前の物語性で盛り上げる展開が好み。戦闘中は無言でお願いします。喚き散らしながら攻撃してくる戦いというのは、なんか合わないなあ。

街とフィールド


街とフィールドで操作性が異なったり、制限が加えられるのは、個人的には好きではありません。

ゲームでは、フィールドよりも街にこだわったほうが良いなーと思いました。

なぜなら、一回性のフィールドよりも街のほうが何度も行き来するからです。

街というのは、いわばこのゲームで言う家です。家の中はとことんまでこだわり、快適にすべきというのが個人的な意見。

ちなみに、このゲームのフィールドは素晴らしかったです。

最後に


上記はすべて、私がこのゲームから学んだことであり、方向性の話です。

そして、色々と不満点ばかり書いてしまいましたが、普通に面白かったし、楽しんでプレイできました。ハマりました。

その点で言うと、このゲームは素晴らしい出来です。

ただ、その素晴らしさをもっと高めることもでき、それが、ここで述べたようなことだと私は思います。

つまり、「もっと削ればよかったんじゃないかな」ということです。

良い部分も多いのですが、不満点も多い(かつ大きい)ので、そればかりが目立ってしまう。正直、勿体無いなと思いました。

しかし、プレイしてみて、多くを学ばせてもらったゲームです。ゲームって、もっと削らなきゃいけないんだということを。

次回は、SAO LSの面白かった点を書く予定。


偉大さの指標


偉大さというものは一体どういうものでしょうか。

それはどのように決まるのでしょう。

前者は前に話した気がするので、今回は後者について。

一言で言うと、偉大さは、「自分が自分らしく生きていくために必要なものの多さで決まる」ということです。

この視点で言うと、一切何も持たずに、それでもなお、自分が自分らしく生きていくことができる人間が最も偉大な人間です。

反対に、たくさんのお金がなければ、たくさんの愛がなければ、たくさんの物がなければ、たくさんの人に助けてもらえなければ、自分が自分らしく生きていくことが出来ない人は、偉大な人間ではありません。

いや、実際に持ち物の多さが問題ではなく、その持ち物がすべて無くなっても、それでも自分が自分らしくあるなら、その人は偉大な人間です。

ただ、通常は一旦持ってしまうと、それに依存、固執しやすく、かつ手放すことが難しくなりやすいので、難易度は上がります。

したがって、すべてを持たない状況とすべてを持つ状況を作り出し、その人がどのように振る舞うかというのを見ることで、その人の本来の偉大さを計測することが出来ます。

例えば、持たざる時は偉大な人間だったのに、持った瞬間に偉大な人間ではなくなることも良くあります。通常は難易度が上がりますからね。また、逆もしかり。


恥ずかしすぎて出すのが嫌な記事


ブログを書いたことがある人なら分かるかもだけど、恥ずかしすぎて出すのが嫌な記事も稀にありますし、書いた後にしばらくして読み返してみると、悶え死にたくなりそうな記事もたくさんありますね。


過去に書いたイラストを見るのは苦痛でしか無い


タイトルのとおりです。


イラストを書く日課


すぐにやめてしまった。


初めから知ってる答え



「本当のことはみんな知ってるんだよ。でも、気づかないふりをしているよ」というような考え方をすることがあります。

これはどういう意味があるのかというと、色々ですが、その一つに答えというのは「その人が気づかないふりをするのをやめた時に、見えてくるもの」みたいな考え方をするからかもしれません。

痛いことをごちゃごちゃ書いていたので、以降を読まずに削除しました。


齟齬の多くはその人の立場から発生する


タイトルのとおりだけど、まあ、そういうことではないかなと。

私は立場から機械的に導かれる結論にあまり魅力を感じなかったりもする。

まあ、それも重要なのだろうけど。


となりの吸血鬼さん


ComicWalker

読んでみた。吸血鬼のことにちょっと詳しくなったかもしれない。


イラスト上達のコツ


何かきっかけというか、ある複数の線があったとして、それがあれば絵が完成するということがあったので、メモ。

だけど、きっかけが何もないところから描きたいものを描いていくというのは、現在の自分では難しそう。

プロの人は一本の線や何もないところから描いたりするのだろうか。


理解できるかは感情次第


誰でも理解できる事柄のそれを大きく阻害するものがあるとすれば、それは、「自分の立場上、今回の論調はどうなのだ」というその一点に尽きると思います。

もし自分の立場上認めたくない論調ならば、「ここもおかしい」、「ここも変だ」と言いやすく、細かいところばかりに目がいって、相手が言いたいことが読み取れなかったりすることが多いかもしれないと考えるからです。

なので、感情が広い(心が広い)人のほうが、物事の理解は早くなるというのはあるのかもしれませんね。そんなことを思ったのでした。

おわり。


最近描いた絵で気に入っているもの








表に表現されている問題の大小


公開されている表現が全てかというと、書く側としてはそんなことはないなと思いつつ、しかし、読む側としてはそれが全てなので、このことに関して齟齬が広がってしまう場合が多く、特にどちらが悪いというわけでもないことも多いので難しそう。私は基本的に書く側の方ができる限り配慮すべきとは思うのだけど。しかし、あまりに多くを要求しすぎてしまうのもあれなのでという感じではある。


第三者から批判していい問題


人は、基本的に自分が感じたものを、感じるがままに表現してもいいと思う。

が、その感じ方についてとやかく言うのは、私はなるべくしたくない気がした。

もちろん、第三者から批判していい問題もあって、例えば政治に関する問題などだと思う。理由としてはそれが自分達の生活に直接関わりがある事柄だから。

ただ、第三者からは、どちらが悪者かわからない問題もあって、更に、悪者はどちらでもなかったということも多かったりするんじゃないかなと思ったりもする。

その場合、当事者を傷つけるだけの結果にならないか、そういった配慮も必要なんじゃないかなと、私はそんなことを感じたのでした。

当事者間の問題って表現されていないものもたくさんあるかもしれないし、色々難しそう。

おわり。


なんか悪い人間なんていないってことをごちゃごちゃ書いているっぽい記事



アニメが嫌いになった人の話を自分はどう考えるのか


最近、大好きなアニメを批判されて、アニメを見なくなったという人の話というかイラストが話題になっていた。

話題になるということは、批判にさらされるということでもあり、私はその人が少し可哀想に思った。

感情的にはそれだけだが、その感情を上手く表現するために、今回はそれを書いていこうかなと思っている。

今の世の中、ある一つのことをすると、すごい批判にさらされることを私は知っている。

具体的には、「他人のせいにすること」だ。

例えば、「他人のせいで私はアニメが見られなくなった」というと、当然ながらすごい批判や誹謗中傷が寄せられ、そう言った当人は精神的ダメージを負ってしまう、そういう世の中だし、特に日本のネットではその傾向が強いと思う。

しかし、私は、「別に他人のせいだって言っても、それが本当なら別に仕方ないし、別に良いのでは?」とそう思っている。

だから、「他人のせいにするな!」とかそういった厳しいことは特に思わない。

その理由の一つは、そういう厳しいことを言うだけでは本人は救われない事が多いからだ。

そんなことは誰でも言えることだ。

誰もが簡単に、「自己責任だ」、「他人のせいにするな」、「甘ったれるな」とそう思うだろうし、場合によっては、それを言葉にするだろう。

基本的に、私はこんなことを言っても意味が無いと思っている。

例えば、「僕だけがいない街」で親に虐待されている子が登場するが、彼女が誰にも救われず、そのまま育ったらどんな風になっただろうかと想像してみる。

誰にも救われなかった場合、つらい目にあったその人は、きっとひどく残酷で冷たい人間になっただろう。

逆に、辛い状況から主人公たちに救われたその少女は、未来では優しい普通の人間になっている。若干ネタバレだが。

ここで、私達ができることが非常に限られたものであることが分かると思う。

私達は彼らを手助けすることしか出来ないのだ。

もしこの虐待を受けた子供に、「ゆるむな、甘ったれるな、自己責任だ、他人のせいにするな」と言ったところで、彼女は変わらなかっただろうし、救われなかっただろう。

反対に、この作品の主人公達は、この少女、具体的には無愛想な嫌われ者に優しく声をかけ、誕生日を祝い、隠れ家に匿うということを実行した。

そのかいあって、未来では、この少女は優しい普通の人間になっていた。もしこの少女が救われなかったら、どうなっていただろうか。

人は環境に逆らえない。虐待を受けた子供は、やがて親になり子供を虐待するようになる。厳しいことばかり言われ認められなかった人間は、ただ厳しいことを言うだけで他人を認めないダメな大人になるだろう。こんな人間ばかりの世の中にあなたは住みたいと思うだろうか。

以上を踏まえ、私は、今回のケースでは、「本当にそのせいでアニメが見られなくなったのなら、それはそれでしょうがないだろう」とそう思った。

実は世の中、「他人のせい」であることも多い。何故かと言うと、「人ひとりの力はとても小さい」からだ。子供は親を選べないし、人間は環境を選べない。だからこそ、環境というものが非常に重要になってくる。これをすべて「自己責任」に帰結させるなら、世の中は良くならないだろうと思う。逆に言うと、原因を解明し、環境を変える努力をする上で、「他人のせい」にすることも私は仕方ないし、時には必要なことだろうと、そう考えているのだ。

だからこそ、私は、「他人のせいでアニメ見られなくなった」というこの主張に対して、特に怒りも拒絶も否定も感じなかった。それはそれでしょうがないし、そういう人がいても良いと思うのだ。この人はおかしいとも何とも思わない。

今回、そう思う人が多かったようだ。

何故かと言うと、やはり、最初にも述べたが人間の本質のせいだろう。

人間は自分とは関わりのない事柄は、「自己責任だ、他人のせいにするな、許せん」という感情を発生させるのに対して、自分の事がらに関しては、割と他人責任にすることも多い。

他人責任というのは、例えば、「あいつはもうダメだ」とかいうのも他人責任にしている範囲に含まれる。自分でなんとかできない事柄、コントロール出来ない事柄に関して、それを否定したり、ダメだと言ったりするのは、やはり、「自分の責任ではない、どうしようもない」と言ってるのと同じだからだ。

しかし、これは特別に悪いことでもない、と私は思う。これは当たり前のことであり、当然のことだ。

また、「作品を批判した人、原因を作った人」に言及したい。

一言で言えば、「別に作品を批判しても良いのでは?」ということだ。

つまり、この件に関して、悪い人間はいないのだ。

長くなりそうなので、また今度。


サイトに動きをつけるJS



animoconsを試してみた


こういうのは、Qiitaに書いたほうが良さそうな気がしますが、このブログに書くほうが気軽なんですよね。ということで、ついつい気軽な方に書いてしまうという罠。

ちなみに、気軽というのは、なんというかあまりちゃんとしなくてもいいみたいな感じで、このブログは前から全然ちゃんとしてませんので、書きやすいのです。

まあ、いいです。ani...そんな感じのアイコンフォントのアニメーションツールを試してみました。

https://github.com/codrops/Animocons

結構色々使ってますね。mo.js, fontawesomeなど。この辺り私自身も結構使いますが。

デモがありますので、表示してみて、使い方を探ってく感じ。私の場合、こういう時はプレビューしながら最小構成を作ってみる。まあ、そんな話はどうでもいいか。

bash<br />$ git clone https://github.com/codrops/Animocons<br />$ cd Animocons<br />$ jekyll server<br />

どうやらアニメーションに結構、幅を取る必要があるようで、なかなか使いドコロが難しい感じがします。


ArchLinuxでpacaurを試してみた



パッケージマネージャー、というか正確にはaur helperですが、色々試してみました。

現在までは、yaroutを使っていたのですが、packer, aura, pacaurを試してみました。

packer : yaourtに似た感じがする洗礼されたインターフェイスを提供する印象

aura : haskell関連をインストールしなければならないけど、コミュニティがいい感じでメンテナンスされている印象

pacaur : シンプルで色々対応している

auraは、/etc/pacman.confに以下を追記して、updateした後に、インストールすれば良いと思います(あまり覚えてない)

<br />[haskell-core]<br />Server = http://orbitalfox.com/haskell/core/$arch<br />

bash<br />$ yaourt -Syu aura-bin<br />$ yaourt -S aura<br />

pacaurはシンプルな作りになってるので分かりやすく、GitHubからcloneして、pathが通った場所にでも置けばよいと思います。必要な物を必要な場所に配置しなければなりませんが、エラーで表示されるので、そのへんは適当に。この辺を自動化するスクリプトがどっかにありそうですが、あまり調べてません。

bash<br />$ git clone https://github.com/rmarquis/pacaur<br />$ cp pacaur/pacaur /usr/local/bin<br />$ mv pacaur $HOME/.config/<br />$ source ~/.zshrc<br />$ pacaur -Syu<br />


Macで使うVLCの問題点


インターフェイスにncursesを採用しているのですが、ビデオをメインウィンドウに表示する設定をすれば、2回に一回はウィンドウが立ち上がらない。

ちなみに、このバグはMacのみで再現します。

vlcは定番だから使ってるだけで、もっと良い動画プレヤーはないものかなあ。Linux,Windows,Mac互換。

mplayerは結構好きなのだけど、倍速再生とインターフェイスが辛いので、動画には不向きで、音楽再生の時のみ使用してます。

最近、環境というかメインツールを色々と一新しているので、この機会に、色々触ってみるのも面白いかもしれません。